笑えるおもしろエピソード!結婚式で起きた驚愕の出来事

38歳女結婚式で見事な太鼓に圧倒されました

高校生だったときに、親戚の結婚式に参列をすることになりました。

今のようにシンプルな結婚式よりも派手なほうがいいという時代でしたし、結婚式は地元では由緒ある大きなホテルで行われたので参列することを楽しみにしていました。

親戚のお姉さんの結婚式で、ホテル内に作られているチャペルで行われました。

ステンドグラスが張り巡らせられたチェペルでとても厳かでしたし、神父さんが外国人の男性だったので興味津々で見ていました。

パイプオルガンが流され、綺麗な新婦さんを見ることができ、結婚式は本当にロマンチックなものだと感じました。

その後、引き続いて披露宴が行われましたが、かなり広い広間で行われました。

進行役がいて、参列者の中から出し物をするような人もいます。

歌を歌ったり、一発芸のような余興をするのですが、その中で印象的だったのが太鼓でした。

新郎が地元の青年団に所属していて、消防活動も行っているようですが、そこでは伝統的に太鼓をたたくパフォーマンスを行っているようです。

大きな太鼓がいくつか広間の中に運ばれて、新郎を含めて他の青年団のスタッフも上半身裸でバチを振り回しています。

太鼓の音が驚くほど大きく響くので、披露宴で好き放題に話をしたりざわめいていた雰囲気が一瞬でおさまりました。

思わず参列者全員が太鼓に見入ってしまい、終わったときは大きな拍手が巻き起こりました。

結婚式が行われたホテルのスタッフも、披露宴ではいろんな余興が行われるけれど太鼓というのは初めてで素晴らしかったですと話していたそうです。

自分もロマンチックだった結婚式が、全て太鼓にもっていかれたような記憶がいまだに残っています。

思い出というものは印象が強いものが色濃く残るので当然なのかもしれませんが、太鼓というのは祝いの席にもピッタリだと今でも感じます。

ただ自分が結婚式を挙げたときは、太鼓をたたく人がいなかったのでそういう余興は行えなかったのが少し惜しいです。

40代女性結婚式で主人に合図を送りました

10年以上も、前のことです。

結婚式はわけあって、今の旦那と二人で式をあげることになったのです。

結婚式を挙げるにおいて、式前にいろろきめたり式場をみたりしました。

しかし結婚式の流れというか、神父様の前まで二人で歩いたり、どのタイミングで指輪をつけたりするかということは、本当に式の直前だったのです。

一度練習して、その流れですぐ本番といった形でした。

だから、今思うとかなり頭が真っ白になっていた状態でした。

それでも教わったことを思いながら、やっていたのです。

最初に歩くところから、自分もですが主人もぎこちないように感じました。

それとも私の歩き方が、遅いのか?といったことが頭の中をグルグルしていたと思います。

それでもできるだけ冷静になり、順番に式の内容がすぎていきました。

そして最後に退場するときです。

最後の最後に式場に向かって一礼するのですが、旦那は立ったままでした。

表情を見ても、一礼することを忘れているように感じたのです。

ここでもしかしたら、私の考えすぎかな?とも思ったのですが、もし本当に忘れていたらよくないと思い、肘で旦那をつつき合図しました。

案の定、忘れていたそうです。

先ほど忘れていたらよくないといいましたが、なぜかというと式での様子がビデオに録画してもらっていたのです。

結婚式のサービスプランの中に、そいったものがあるんですよ。

それで片方だけ間違っていたら、後で親族などがみたときいろいろマズイと思ったからです。

なぜかというと、旦那の身内なら多分笑って過ごすと思います。

しかし和足の身内特に父方の方は、何かと欠点を見つけるとここぞとばかりにせめたてるのです。

このビデオで旦那がミスしたら、思いっきりせめられるのが目に見えてたからです。

そして次に私の方に「なんで教えなかったんだ」と私もせめたてられることでしょう。

そういうことにならないよう、今思うときづいてよかったと思いました。

それにしても事前練習が、式本番前とは知りませんでした。

そこのところを、前もってきいておけばよかったと思いました。

50歳女結婚式で叔母さんと会話がなくて困ったこと

自営業をしています。

父の妹、私の叔母の結婚式に呼ばれたのは、今から30年以上前の前の話になります。

あのころ私は高校生、今はデジカメやスマホのカメラで簡単に写真が撮れる時代となりましたが、あのころは形ばかりでかいカメラで撮影をしていました。

何と、結婚式は叔母のだんなさんの実家そばで行われたため、私たち家族は車で千葉県の房総まで乗っていき、結婚式後は一泊して帰ってきました。

結婚式場が海のそばだったこともあり、ウミドリがたくさんいたことを覚えています。

私は、母や兄たちに「あまり、叔母さんのこと知らないし、何て話したらいいのかな」と戸惑い気味で、結婚式に参加することになりました。

高校生の頃でしたので制服姿に白ソックスを履いて参加をした姿を写真に撮ってもらいました。

今あの時の写真を見る時がありますが、初々しい姿に恥ずかしくもなりました。

こんな時代が私にもあったんだなあって。

そして結婚式、白無垢姿の叔母とだんなさんが親戚や近所中の招待客を呼び、盛大に盛り上がっていました。

お色直しは白のウェディングドレス姿で、きれいな花嫁さんでした。

しかし、あまりなじみのなかった私は高校生だったこともあり、花嫁さんと目が合っても言葉が出ず状態でした。

『何で私、呼ばれたんだろう…」ぐらいにしか感じませんでした。

料理は千葉の房総ということもあり、海の幸の料理がふんだんにふるまわれ、正直なところその料理は豪華でおいしかったです。

ですがその叔母とはほとんど話をすることがなく、叔母は病気で亡くなってしまいました。

小さな子供を残して、旅立ってしまったために少しだけ後悔をしました。

もう少し話ができたらよかったのにね。

今では父も亡くなり、今頃は父と叔母さんは兄妹で天国で再会しているだろうねと母と話をしました。

皆さんにお伝えしたいことは、後でどんなに話をしたくても生きているときでないと話はできなくなってしまいます。

後悔のないようにしてくださいね。

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